ヒット商品の生みの親は「直感」
経営者はアートに触れ観察力を鍛錬
論理より感性
2019年の始めは、最近読んで大変感動した本を紹介したいと思う。それは、山口周氏の「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」である。是非、読んでいただきたいと思う。ちょうど2年前にこの連載で、ダニエル・ピンク著「ハイ・コンセプト」を読むことを推奨したが、その系譜に連なる良書だと思う。要約すると、「論理」や「理性」だけでは勝てない時代になっている、「感性」や「直感」を重視すべきだ。また「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められる、と述べている。
昨今、「デザイン思考」や「ブランディング」なる言葉がはやっている。企業においては経営者にはクリエイティブなマネジメントが必要とされており、クリエーターとの共通言語を持たなくてはならないとする考え方だ。「ハイ・コンセプト」では21世紀に生きるビジネスパーソンは「6つの感性(センス)」を鍛えなくてはならない。その第一は「デザイン」であり、「機能だけでなくデザイン」の力をもっと重視すべきとあった。多くのビジネスが、「機能の差別化から情緒の差別化」へと競争の局面をシフトさせている。 そして、論理を司り言語を操り分析能力に長けた「左脳」とは別に、感情や非言語的表現の理解をする「右脳」をもっと鍛えよと。「感情の意味を読み取る力」があり、「直感的に答えを見出す力」、「物事を全体論的に認知する力」があるのが右脳だ。今までは「左脳至上主義」であったのではないかというのだ。いまアメリカではMBA(経営学修士)よりMFA(芸術学修士)のほうが人気で重視されているらしい。アートスクールや美術系大学によるエグゼクティブトレ−ニングに多くのグローバル企業が幹部を送り込み始めているらしい。
「世界のエリート〜〜」の中では、有名なエピソードに触れている。ソニーの井深大名誉会長が、「海外出張の際に、機内で音楽を聴くための小型・高品質のカセットプレーヤーが欲しい」と言い出し、開発部門が一品限りの特注品を作った。これを同じく創業経営者の盛田昭夫に見せたところ、盛田も大いに気に入り、製品化しようと言い出した。「ねえ、コレ見てよ!」「お〜、いいですねえ」と決まったのである。しかし、実はこれに現場は大反対であった。彼らは、それまでの市場調査から、顧客が求めているのは、大きなスピーカーであること。そして多くの人がラジオ番組を録音して楽しむためにカセットプレーヤーを購入していることを知っていたため、「スピーカーも録音機能も持たないカセットプレーヤーなど売れるわけない」とまさに「論理的」かつ「理性的」に猛反発したのだ。しかし、二人の創業経営者は開発にゴーサインを出した。それは「論理」や「理性」ではなく、「感性」や「直感」で判断したからだ。これが世界に大きな影響を与えたソニーの代表的な製品「ウォークマン」の誕生の瞬間なのだ。ソニーは会社設立の目的の第一条に「面白くて愉快なことをどんどんやっていく(意訳)」とあるそうだ。これは、会社の意思決定の際には「面白いのか?愉快なのか?」または、「美しいのか?」という「感情に訴える要素」に基準をおいているということになる。
「無印良品」は金井政明会長から依頼を受けてプロダクトデザイナーの深澤直人氏がデザインの選定やプロトタイプの評価に大きく関わり、ユニクロは柳井正社長がクリエイティブディレクターのジョン・ジェイ氏や佐藤可士和氏を重用し、経営のクリエイティブ面について大きく権限移譲している。アップルのスティーブ・ジョブズは、自らがクリエイターであったと見るべきで、数々の製品開発における決断を「直感」で判断しヒットさせた。彼自身も「直感は知性よりもパワフルだ」と言っている。楽天の三木谷社長もこの前NHKの「ファミリー・ヒストリー」に出ていたが、「本能のままに行動している」と言っていた。同じことを言っていると思う。
美意識は社会行為に通ず
著者は、ここで「論理や理性をないがしろにしていい」と言っているわけではない。「非論理的」であってよいというわけではなくて、論理や理性で考えてもシロクロつかない問題については、むしろ「直感」を頼りにしたほうがいい、というのだ。ここで私の個人的な意見だが、論理的でなく冷静に考えると「無謀」な決断も後になってみれば、その決断があったからこそ今がある、ということもあると思う。あまりそんな無謀なことばかりではいけないが。著者も「非論理的」ではなく「超論理的」なことがあるといっている。
ヘンリー・ミンツバーグは経営における意思決定は「アート」、「サイエンス」、「クラフト」の3つのバランスが大事だという。
「アート」は組織の創造性を後押しし、社会の展望を直感し、皆をワクワクさせるようなビジョンを生み出す。「サイエンス」は体系的な分析や評価を通じて、「アート」が生み出した予想やビジョンに、現実的な裏付けを与える。そして、「クラフト」は、地に足のついた経験や知識を元に「アート」が生み出したビジョンを現実化するための実行力を生み出していく。「アート」は「感性」や「直感」を指し、「サイエンス」は「論理」や「理性」、そして「クラフト」とは、「経験に基づいた実行力と人材」という解釈でいいかと思う。そして、筆者は「アートが主導し、サイエンスとクラフトが脇を固める」経営が一番いいと言っている。
では、経営トップはアート型の感性をどう磨いたらいいのだろうか?著者は美術館に行けという。アートを見ることによって観察力が向上することが証明されているという。それが、「豊かな気づき」を養う。また、「文学」に親しむことも大事だと。私たちが一般に考えるほど、「サイエンス」と「アート」は対照的な営みではなく、個人の中にあって両者は相互に影響を与え合い、高い水準の知的活動を可能にしているらしい。音楽でも映画鑑賞でも陶芸でも詩や短歌・俳句でもいいのではないか。「論理」や「理性」を超えた「感性」を鍛えるのだ。歴史上の世界の偉人たちが意外なほど、アートに造形が深いのは事実だ。
また著者は、書名にあるように「美意識」という言葉を使って、アートのデザインの領域だけでなく、もっと大きな概念に触れている。それは「経営における美意識」が企業活動の側面における「良い」、「悪い」を判断する基準となるという。「サイエンス」重視の測定できるものだけで経営してはいけない。「必ずしも論理でシロクロつかない」ものを判断できるのが、「美意識」だというのだ。経営が「サイエンス」重視になると、コンプライアンス違反が起きるという。「倫理」を問われるのだ。そして、哲学者カントがいうように、正しい判断には「理性」だけに頼るのではなく、「快・不快」といった「感性の活用」が不可欠だと。オーム真理教の幹部にインタビューを重ねた人が気づいたことがあるという。彼らはことごとく文学に親しんでいないらしい。「偏差値は高いけど美意識は低い」人に共通しているのが、「文学に親しんでいない」ということは興味深い。文学の中で、いろいろな思いを考察し、考えを巡らせることが「真・善・美」を鍛えるのだ。
そして、著者は、一見関連のないものとして捉えられている「音楽や絵画等の創作という表現行為」と「ビジネスにおける社会行為」を同じものとして考えるべきだと主張する。社会をより良いものにしていくためには、ごく日常的な営みに対しても「作品を作っている」という構えで接することが必要だと。全ての人はアーティストとしての自覚と美意識を持って社会に関わるべきだと。ビジネスパーソンであれば、自分の関わるプロジェクトをアーティストとしての自分の作品だと考える。経営者ならば自分の会社をアーティストとしての自分の作品だと考えようとするのだ。
(筆:藤澤雅義/全国賃貸住宅新聞2019.1.14掲載)