組織と業務の硬直化を防げ
業務改革会議を若手が主催
この毎月の連載も179回目となった。
2009年の1月号から書いているので、16年目だ。
47歳から書き始めていまは62歳。
私も年を重ねれば重ねるほど忙しくなり、なかなか執筆の時間を取れないので、編集長とも話して次回が最終回とすることになった。
最初のうちは自分の経験や知識でわりとさっさと書くことができたが、最近では本を読んだり調べものをしたりと情報収集の時間が結構必要で、執筆に都合丸2日以上かかってしまう。
15年前は会社の従業員は40名くらいだったが、いまは240名になり、やることが多くなってしまった。
連載の内容は、私の関心の変化につれて、プロパティマネジメントから会社のマネジメントそのものをテーマにすることが多くなった。
今回も会社の在り方について書きたい。
最近、JAL(日本航空)の元パイロットの方と話をする機会があった。
1982年の羽田沖での墜落事故のあと、JALではコックピット内の機長と副操縦士との関係性を改善する施策がとられたらしい。
羽田沖の墜落事故は別名「逆噴射事故」とも言われていて、機長が心神喪失(統合失調症)の状態にあり、わざとエンジンを逆噴射させて機首を異常に下げてしまい、滑走路にたどり着くことなく東京湾に墜落した。
乗員乗客174人中24名が死亡した。
実は、事故前日にも機長には異常な行動があったのだが、副操縦士は「管理職である上司の行動」を会社に報告することをためらってしまったのだ。
「ものが言いにくい」雰囲気があったのだろうと思う。
現在、JALでは、副操縦士の権限を強化し、機長の判断の前にまず「自分で考えて決定する」という方針でやっているとのこと。
コックピット内の「上下関係」というものを緩和しているのだそうだ。
今年の正月に起きたJAL機と海上保安庁機との衝突炎上事件では、海保の機長の行動が問題になった。
管制塔側がストップと言っているのに、滑走路に出てしまったのだ。
現時点では真相はわからないが、副操縦士はなぜ止められなかったのか疑問が残る(JALの元パイロットの方の話だと、実はこのようなミスは事故になっていないだけで、結構起きているのだそうだ。
人がやることなので、思い違いとか聞き間違いは起きるとのこと)。
海保機に乗っていた方だけが亡くなられたが、前日元旦の能登地震の救助に向かうためだったと聞くと心が痛む。
しかし、JAL機の搭乗していた乗員乗客379人が全員無事だったのは奇跡と言われている。
JALのCA(客室乗務員)が機長と連絡が取れないなか、「自分の判断で」後部の避難ドアを開けたのだ。
後部ではこのドアだけが火の手がないと判断したのだが、もしこの判断が間違っていたらとどうしようと躊躇したと思う。
JALでの日ごろの訓練の賜物だろう。最悪の場合、「自分の判断で行動して良い」という規範があったのだと思う。
2022年の2月号で「ホフステードの権力格差指標」のことを書いた。
「上下間の風通し」が悪い組織は大きなミスや事故が起きやすいとのこと。
「目上の人に対して、反論したり意見を述べる」という行動に対する心理的抵抗の度合いを心理学者のホフステード氏は「権力格差指標」と定義した。
各国や組織ごとに違いがあるのだが、日本は権力格差が大きいと判断されている。
つまり、「ものが言いにくい国柄」だということである。ホフステード氏はIBM(アイビーエム:米国、ニューヨーク州)に依頼されて、IBMの各国のオフィスにおいて、管理職と部下の仕事の仕方やコミュニケーションが大きく異なること、それが知的生産に大きな影響を与えていることを発見したという。
はたして我々の会社では、この「権力格差」はないだろうか。ワンマンな社長や上司になっていないだろうか。
私自身も自分に自問したい。
「上位下達型」になっていないだろうか。そうなると、スタッフは、何を言っても仕方がないとなってしまう。
結果的に、指示待ち人間になってしまう。
自分で考えることをしなくなるのだ。
結果、当然ながら、新しいアイデアや企画がスタッフから生まれることはない。
組織と業務が硬直化してしまう。
最近当社で、「業務改革委員会」なるものを自ら開催したスタッフがいて、若手を中心に集めて、改善のための提案を言い合う会議をした。
オブザーバーで参加したある課長が、みな積極的に良い意見を言っていて感動した、と言っていた。やらしてみたら出来るものなのだ。
そして、これらの「ものが言えない雰囲気」を打開する方法がある。
それは、社員の「評価制度」だとおもう。
社内の評価制度において、ものが言えないような雰囲気を作ってしまう上司は評価が低くなるべきだ。
また、評価を適正に行っていれば、上司に自分の意見をいうことは評価されることにもなる(当然、礼節は守らなくてはいけないが)。
冒頭の羽田沖の墜落事故の場合も、自分を評価する立場の上司について批判することがためらわれた、という側面がある。
一上司の意見で自分の評価が左右されてしまうような制度にしてはならない。
上司に気に入られて出世した、もしくは逆に降格したというような情実人事があってはならない。
そのような派閥政治がはびこるような会社は、顧客のためになることをしようという意識も無くなっていくだろうし、上司の顔色ばかりをみるような社風になってゆくことだろう。
適正にフェアにその社員の実力、会社への貢献度で評価される制度が運用されることが会社の成長につながるのだとおもう。
また、社員に対する良い評価制度とは、一上司や社長の一存で決めるのではなく、他のマネージャーや周辺の評価を加味する、他の人の冷静でフェアな意見を取り入れることだと思う。
スタッフの「仕事の実力」を正しく評価する、「上下関係を含めた人間関係の作り方」も正しく評価するという文化があれば、「ものが言いにくい」という雰囲気はなくなっていくと思う。
ちなみに私の会社では、課長以上10人の合議で200人以上の社員全ての評価を行っている。
つまり、給料を決めている。
半年に1回、朝から晩まで3日間かけて。とても疲れるが、すがすがしい3日間だ
。私は「評価制度」は会社の肝だと思っている。
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